秋篠宮様は今でこそ自分の意見を通す紀子様や眞子様の影に隠れてどこか頼りない、おとなしそうな雰囲気を醸し出しているが、学生時代や結婚当時のエピソードを振り返るとかなりのプレイボーイである。皇室一といって良いかもしれない。

今回はそんな秋篠宮様のエピソードを振り返ってみたい。

早くから次期天皇として英才教育を受けた兄の浩宮様(今上陛下)とは対称的に、まだ自由がきいた秋篠宮様は普通の若者のように、というか平均的な若者以上に派手に遊んだ。

紀子様と婚約する以前、「恋人は七人います」と宣言したり、居酒屋で席が隣だった若い女性に声をかけて一緒に飲んだといったエピソードは伝わっている。

1996年4月 週刊新潮41号

まぁ七股をかけていたわけではなく親しいガールフレンドがそのくらいいたとか、記者に対するリップサービスの側面もあるだろう。筆者は同じ男としてあまり過剰にそういう点を突く気はないが、一時は本当に結婚できない可能性まで考慮された兄と比べて女性関係には困らなかったのは間違いない。

中でも象徴的なのが、学習院大学時代のエピソードだろう。当時、秋篠宮は「パレスヒルズテニスクラブ」というサークルを主宰しており、キャンパスで気に入った女子学生を見つけたら、必ず学友に命じてこのサークルに勧誘させていたのだという。そして、その勧誘された女性の一人が紀子妃だった。

当時の同級生がこう話す。

「この『パレスヒルズテニスクラブ』というのは、殿下の恋人選びのために作られたクラブだったんですよ。紀子様以前にも、複数の女性を勧誘してアプローチしていましたし、紀子様が入ってからも、同時進行していた女性がいたんじゃないかな。お二人が婚約した際、宮内庁は『自然文化研究会』というサークルで顔を合わせているうちに親しくなったと発表していましたけど、おそらく体裁が悪いので嘘をついたんでしょう。『自然文化研究会』なんてお二人が付き合い始めた後に作ったサークルですからね」

噂の真相 1996.07

大学のテニスサークルで知り合った男女がそのまま交際に至り結婚する。そう言われれば平均的な結婚だが、確かに皇族らしさはない。

学習院大学では成績は最下位で、対処に困った大学は同級生から落第を出さない方針をとったという。また当時の秋篠宮様の外見やファッションを見ると(記事冒頭の写真を見てほしい)、髭をはやしてポーズも決め、スーツもけっこう派手だ。宮中行事にブレスレットを着用して非難を浴びることもあった。

車にしても当時フォルクスワーゲンやベンツなどの外車を所有していて、雅子様が嫁入り時にもってきたカローラしか私有車がなかった皇太子ご夫妻とはまるで対照的だ。

紀子様との結婚時には皇籍離脱をほのめかしたとも

秋篠宮殿下が紀子様との結婚意向を示したのは平成元年ごろのことだったが、

  • 昭和天皇の喪中であること
  • 兄がまだ未婚であること(皇室では兄より先に結婚するのは忌避されている) 
  • 紀子様のご実家は大学教授といえ庶民的なので、旧華族などの家柄から相手を見つけても良いのではないか

と天皇皇后両陛下がご心配された。とくに美智子さまは日清創業家の娘といえ平民出身であるから、何かミスをすると宮中から非難されたりいじめのような扱いを受けることがあった。香淳皇后との確執は有名な話だ。そのため、美智子さまは自分と同じ思いをしないか紀子様を心配したのである。

しかし旧華族などの家柄ではなく自分の好きになった相手と結婚することを重視する秋篠宮殿下はこれを拒否し、皇籍離脱してでも結婚すると強く迫った。

愛する女性のために身分を捨てる秋篠宮殿下はある意味ではかっこいいのだが、約30年かけて娘がその伏線を回収しているような気もするのだが・・・。

「殿下のタイでの行動には、警護のものは困惑することが多いようです。スケジュールを突然、変更したいといったり、とにかく行動が突発的で予想がつかないため、大変だとボヤしていましたよ」(全国紙バンコク特派員)

(中略)

89年には秋篠宮殿下はタイ北部の町・ピサヌロークで、短時間とはいえ「行方不明」になり、大使館員たちがパニックに陥ったこともあった。

この殿下の行方不明事件は、表向きはホテル内のディスコを見学に行った、ということにされている。が、一種の社会見学として実際に殿下がでかけていたのは、同町にある「ソープランド」だった。

現地関係者が前もって地元警察に警備を依頼。店に連絡して貸切状態にして店内を見せて回ったのだが、日本大使館たちは、突然、殿下を見失い、大騒ぎになっていた。

タイのソープランドでは、ガラス張りの大部屋の中にひな壇があり、女性が数十人ズラリと並ぶ。通常、客はひな壇の女性を選んで指名し、店内の個室に連れて入るか、ホテルに女性を連れて帰る。

「殿下はガラス越しにひな壇を見て回り、説明を聞き終わった後、ポツリと「わかった。もう帰ろう」といって、つかつかと店を出ていった。ただ社会勉強のためにシステムを説明しただけで、断じてそれ以上はなかった。とにかく私は、行動が自由にならない殿下に、システムだけでも教えてあげたかっただけなんです」(現地関係者)

1996.08.24 週刊現代

この店内のシステムを聞く限りソープというよりはおそらくゴーゴーバーのことを指しているのだろう。私は行ったことはないが日本のクラブが猥雑になって、そこに風俗嬢が出入りしているような雰囲気だと聞く。興味がある方は検索してみてほしい。

証言によればそこでハメを外したとかではないので目くじらを立てる必要もないのかもしれない。同じ男性としてこういう文化に興味を持つことも否定するつもりもない。が、やはりいい意味では秋篠宮様は形式にとらわれない、悪く言えば皇室らしくない行動が多い方なのである。