28日午後、国賓として招かれていたトランプ大統領は帰国し、令和初の国賓来日は無事トラブルもなく終わった。

その中でも日本のみならず世界が注目したのは、天皇皇后両陛下が流暢な英語でトランプ大統領・メラニア夫人と直接話されていた点だ。

とくに雅子さまは元外交官として、英語以外にスペイン語やフランス語、ドイツ語、ロシア語に堪能である。今回もメラニア夫人と途中からドイツ語に切り替えてお話されたというから、並大抵のことではない。

トランプ大統領らと歩く両陛下
引用: 中日新聞

なお、会見の最中にメラニア夫人が足を組んでいたことを取り上げて、

  • 日本がアメリカに舐められた瞬間
  • メラニア夫人は雅子さまを相手にする必要がないと考えて尊大な態度をとった

などと言いがかりとしか言えない内容で雅子妃を中傷する記事がインターネットにあった。屁理屈もいいところで相手にする必要はないのだが、アメリカ人にとって自然と足を組むのはアジア圏ほど無礼と思われないし、仮に無礼な行為だとしたらメラニア夫人側の失点である。

むしろそれほどゲストをリラックスさせ、相手国の文化を笑顔で受け入れる雅子妃には好感を感じた。

https://www.nytimes.com/2019/05/27/world/asia/japan-empress-masako.html

アメリカの有力紙ニューヨーク・タイムズでは雅子妃について高く注目し、以下のように伝えている。

しかしその内容は報じられているほどポジティブなものではない。しっかり英語を読むと、雅子妃がマスコミや宮内庁によって抑圧されていた過去を紹介し、女性の社会進出にからめて雅子妃の今後の公務の在り方を論じているのだ。

陛下も役人に通訳を紹介するよう促されるまでトランプ氏と英語で話したが、(それ以上に)雅子妃がメラニア夫人と流暢な英語で話したことに日本国民が驚嘆した。

ニューヨーク・タイムズ

雅子妃は陛下とご成婚後、厳格な取り決めによってできることが制限され、多くの障害に直面した。

日本人の多くが雅子妃に外交官としてのキャリアを活かして活躍してほしいと願っているが、雅子妃はそこに多くの困難があり容易に乗り越えられないことを理解しているだろう。

というのは、宮内庁は日本で最も格式と伝統を重んじる省庁であり、年配の男性によって支配されている。彼らは雅子妃がいつもにこにこして、女性らしく陛下に付き添うよう振る舞うことを求めている。

雅子妃がアメリカ大統領の隣に座ったのはこの晩餐会が初めてではない。成婚後すぐの晩餐会で、クリントン大統領やエリツィン大統領らとそれぞれ英語・ロシア語で会話している。

しかし長きに渡り、日本のメディアは いつ雅子妃に子供ができるか ということに振り回されていた。

2001年に愛子様がお生まれになったあとも、第二子をお作りになる妨げになるとして宮内庁は雅子様に外国への渡航を禁じた。それが雅子妃の適応障害につながり、公務から遠のくことになる。

徳仁皇太子殿下は雅子妃の自由を制限する宮内庁を批判した。

前皇后の美智子様は上皇陛下に常に付き従っていたが、女性も男性と別で働くようになった今日、雅子妃もそうしてよいのではないか。

日本国民は雅子妃に親しみと共感を感じ、過去の苦難を乗り越えた雅子妃が幸せな生涯を迎えることを願っている。

ニューヨーク・タイムズ記事より抄訳

ニューヨーク・タイムズでは日本のマスコミが雅子さまのキャリアや能力をそっちのけでお世継ぎ報道を過熱化させ、それが雅子さまを追い詰めたとはっきり書いてある。

いったい日本のマスコミがどのようなことをしたのか、ここに取り上げてみよう。

ご結婚早々から勝手に懐妊報道

ご結婚から間もなく、マスコミは雅子様のご懐妊をいち早くスクープしようと、過熱化した報道を行っている。

例えば

<雅子さま 今日から公務を再開 ワンピースのおなかふっくら?>(日刊スポーツ/94年2月22日付)

などと、写真の写り具合だけで憶測で勝手な懐妊説を流している

普段温厚な皇太子殿下もこれには激怒し、「全く真実でないものが独り歩きするのはおかしい」と会見で述べている。

他にも

<新たな皇室バッシングが始まった? 皇太子・雅子妃「不仲説」が流れる理由>(週刊現代/94年7月30日)

と、今度は有りもしない夫婦喧嘩をでっち上げた。

この前年に美智子さまがこのような心ないバッシングで倒れられてすぐ、マスコミは皇太子ご夫妻をターゲットに切り替えたのだ。

オフレコの懇話内容を流出させる

オフレコは報道各社と取材対象者の紳士協定によって、話した内容を記事にしないという取り決めだ。オフレコ内容を漏らさないのは取材源の秘匿のようにジャーナリズムが最重視する倫理の一つである。

しかし雅子妃がオフレコ懇話会で話した内容が女性セブン(96年3月14日号)に掲載された。

内容はただ「得意料理がカレーライスで最近呼んでいる本は大江健三郎」という他愛もないものだったが、これに宮内庁が激怒。報道各社に抗議文を出す一方、あろうことか雅子様にも軽率であるという非難を向けた。

ついに懐妊兆候、しかし朝日新聞がぶち壊しに

マスコミは雅子様に対してひどいことを随分してきたが、最も許せないのは1999年の11月、懐妊兆候が現れた雅子様にまたしても行き過ぎた取材・報道を行い、結果的に雅子様が流産した事件だ。

不妊治療の甲斐があり雅子様に懐妊の可能性が生まれた。宮内庁関係者や東大病院関係者が極秘で検査をしたが、まだ懐妊と判断できない状態で見解は保留された。ちなみに、結果的にはこの当時で妊娠二週目だったということで、いかに雅子様がご自身の妊娠に敏感であったかが伺える。

しばらく懐妊か否かが曖昧な状態だったが、これを朝日新聞がスクープする。

<皇太子妃・雅子さまに懐妊の兆候が見られることが9日、明らかになった。近く宮内庁病院で詳細な検査が行われる模様だ。妊娠の兆候は、すでに天皇皇后両陛下にも内々に報告されている。>(12月10日 朝日新聞)

明らかにデリカシーのない報道だが、当時懐妊が確定しているわけではない雅子様にとってこれは非常に大きなプレッシャーとなった。実際皇太子殿下は、大変なショックとプレッシャーを受けていると宮内庁を通じて語った。

その後、12月30日に検査をしたところ、稽留流産であることが判明。雅子様は大変強く落胆された。

皇太子さまも強く抗議

当然皇太子さまもこの流産に強く落胆された上、朝日新聞を始めとする報道各社の一方的な報道に強く抗議している。

医学的な判断が下る前の非常に不確かな段階で報道がなされ、個人のプライバシーの領域であるはずのこと、あるいは事実でないことが大々的に報道されたことは誠に遺憾であります。そのような中で雅子は非常によく辛抱したと思いますが、国民の中にも戸惑いを覚えた人も少なくなったというふうに効いております。今後は、事柄の性質上、慎重で配慮された扱いを望みます。

2000年2月21日、皇太子さま40歳の誕生日会見で

宮内庁記者クラブは雅子様を完全に悪者扱いに

2004年に人格否定発言があり雅子様はご療養に入られるのだが、東宮職からの情報が入らないことに千代田側(宮内庁の天皇皇后両陛下側の部局)、マスコミの両者が不満をつのらせていた。

人格否定発言当初は国民の多くが雅子様に同情的で、宮内庁へ抗議が殺到していた。

しかしマスコミはいつしか情報がとれず取材がしづらい皇太子ご夫妻の側を悪者扱いし、天皇皇后両陛下を悩ます困った存在のように扱った

皇室を見る構図も固定化し始める。両陛下は絶対的な存在、皇太子ご夫妻は両陛下を悩ます「困った者」ないしは「悪者」。宮内記者会のボードに掲げられた雅子妃のお写真の上に、「わるもの」というキャラクターのシールがしばらく貼られていたのもこの頃だった。

ザ・プリンセス 雅子妃物語

次期皇后陛下であった雅子様に対し、「わるもの」なるレッテルを文字通り貼るとは、不敬も甚だしい行為だ。

所詮、皇室を取り巻くマスコミの倫理観など、この程度しかないのだろう。

お世継ぎができないことをすべて雅子様の責任に

皇太子ご夫妻の間に長く子供がお生まれにならなかった時期、それでもお二人が率直に相談できる側近はいなかった。当初、宮内庁は口では皇位継承を重視しながら、具体的な方策は何一つ取らず、お世継ぎがお生まれにならないことを雅子妃に問題があるなどと憶測するようになる。

その後も宮内庁の雅子様に対する扱いは総じて雑で、例えば阪神大震災の慰問をきっかけに雅子様が公務で国民の役に立てる方法を宮内庁関係者に相談した際は、公務は不要でお世継ぎを作るよう無碍にあしらったという。

懐妊の兆候があったにもかかわらず公務をさぼった呼ばわり

2000年夏、香淳皇后の崩御に際して雅子様は本葬に欠席される。

実はこの時期ご懐妊の兆候がでていたため、極秘で大事を取っていた。この際欠席理由を疲労によるものとしたのだが、疲労で香淳皇后の葬儀に参加しないとは皇太子妃としての自覚がないと非難を浴びる。

あとから理由を知れば、誰よりも皇太子妃としての自覚があったがためにお世継ぎ問題を最優先する雅子様の姿勢が分かるのだが、これが雅子様と周囲の溝を作っていくきっかけになる。

愛子さまご誕生後、すぐに第二子を要求

苦労を重ねた末にようやく誕生した愛子さまであったが、宮内庁は男児でなかったことにひどく落胆し、お祝いもそこそこにすぐ第二子を要求したのだった。宮内庁にとってみれば、女児が生まれた以上身体的な問題はないのだから、またすぐご妊娠されるだろうという、なんとも安直な考えだったのだろう。

今生まれたこの子は 、心から祝福されているのだろうか 、辛い治療に耐えてきたことは何だったのか──。雅子妃は身体に負担の大きい検査をも受け 、その後にご気分が悪くなられ 、御進講を途中で退席されたこともあった 。望んでも妊娠しない 、それは今ではごく普通に理解されていることだ 。だが 、皇太子妃が懐妊されないということを皇室制度は想定していなかった。

ザ・プリンセス 雅子妃物語

海外訪問を抑制すればご懐妊するだろうなどという不理解

とにかく宮内庁の妊娠に対する考え方・サポート姿勢は旧態依然で、本気で雅子様を国内に閉じ込めておけばすぐに妊娠すると考えていた。

精神面でご体調を崩されて以降も、

心の持ち方次第で、治療するまでもない

皇族が精神疾患になることはない

妃殿下のお気持ちひとつで回復する

などと真面目に考えていた。

人格否定の張本人たち

鎌倉 節 (かまくら さだめ)
学歴 1954年(昭和29年)東京大学法学部卒業
警視総監を経て宮内庁入り。 お世継ぎが最優先として、雅子様の海外訪問を禁止した張本人。 「妃殿下に世継ぎの重要さを理解していただくよう説得していただきたい」などと周囲に迫る。 雅子妃にお世継ぎができないのは、雅子妃が公務を優先して世継ぎを望んでいないためだという一貫して誤った見方で対策を推し進める。

鎌倉長官は、前年までは雅子妃の周囲の医師や東宮職にお世継ぎを生んでいただくよう促してほしいと頼んできたが、もはや雅子妃と直接お会いして、お気持ちを確認しなければならないと思っていた。鎌倉長官は部屋に入るなり、お世継ぎの話を切り出した。その表情には怒りが感じられたという。

前置きもなく 、いきなりお身体のことを話し始めたといいます 。雅子妃殿下は羞恥心と驚きで複雑なお気持ちになったそうです 。ひとりの女性が夫婦間のことなどを他人に軽々しく言えるはずがありません 。雅子妃はしばらく黙ったままだったそうですが 、あまりに理解がないためプライバシ ーについて言われたところ 、結局 、聞き入れてもらえないまま話は平行線で終わったと言われていました

ザ・プリンセス 雅子妃物語
湯浅 利夫 (ゆあさ としお)
年齢 84歳
生年月日 1935/10/03
学歴 東京都立日比谷高等学校を経て、1959年(昭和34年)東京大学法学部卒業
皇太子ご夫妻に第2子誕生を強く求めた上、秋篠宮殿下に対して3人目を要求。

湯浅長官は愛子さまご生誕直後に宮内庁長官に就任した。

2002年、雅子様がこの年久しぶりの海外公務でニュージーランド、オーストラリアに皇太子殿下とご訪問されると、「外国訪問をあれだけなさりたかったのかと、正直言って、驚いております」などと戸惑ってみせた。

また、2003年に雅子妃が入院されると、

秋篠宮さまのお考えも有ると思うが、皇室の繁栄を考えた場合、3人目のご出産を強く希望したい

と雅子様の努力と人格をあからさまにないがしろにする発言を行っている。皇太子殿下が人格否定発言をなされる前年のことである。

人格否定発言の余波 千代田・秋篠宮は皇太子ご夫妻に反発

このように雅子様と宮内庁の溝が決定的となり宮内庁の理解が得られなくなってしまったことで、皇太子殿下はマスコミに対して雅子様の公務や生活に自由を与えてほしいと記者会見で伝える。それが世にいう人格否定発言である。

この人格否定発言で一時的に世論は皇太子ご夫妻に同情的となり、宮内庁が伏魔殿のように報道される。

皇太子殿下の懸命な姿勢で雅子様に対する宮内庁のバッシングが止んだかに見えたが、この皇太子殿下の動きに反発したのは誰であろう秋篠宮ご夫妻であった。

皇太子殿下の人格否定発言から半年後、秋篠宮殿下が自ら人格否定発言について触れた

私は去年の会見で「陛下をどのように支えていくか」という皆さんの質問に対して、コミュニケーションの大切さを申しました。(略)

5月の皇太子のご発言については、私も少なからず驚いたわけですけれども、陛下も非常に驚かれたと聞いております。私の感想としては、やはり少なくとも記者会見という場所で発言する前に、せめて陛下とその内容について話をして、その上で話をするべきではなかったかと思っています。そこのところは、私は残念に思います

2004年11月25日 秋篠宮殿下39歳の誕生日会見で秋篠宮殿下のご発言

"人格否定発言"から半年経って、遂に身内から飛び出した皇太子ご夫妻への批判ともとれる発言。記者たちは、秋篠宮の穏やかな話し方の中にある”剛"を感じ取っていた。その横で紀子妃殿下が秋篠宮のほうにやや身体を向けて、両膝の上に手を組みながら静かに微笑んでいた。

ザ・プリンセス 雅子妃物語

私たちにそのような苦労があったかというと 、それは私よりも家内に関係すると思います 。確かに東宮御所という大きい組織と比べると 、私のところは周りにいる人たちの数も少ないので 、比べるのは非常に無理があると思いますけれど 、それを踏まえた上でどうでしょう

結婚してからの生活は 、新しく出会う務めや初めて経験する慣習などが多くございました 。どのように務めを果たしたらよいか 、至らない点をどのように改めたらよいかなど 、不安や戸惑いなどもございましたが 、その都度人々に支えられ 、試行錯誤しながら経験を積み 、一つ一つを務めて参りました

言い回しは柔らかいが 、人々とコミュニケ ーションを取り乗り越えられてきたという自信が窺えた

ザ・プリンセス 雅子妃物語

今となってはマスコミの過剰な報道、宮内庁による無理解、キャリアを生かせない環境、第一子が女児であったことの宮内庁の冷たい反応、それによる適応障害に苦しむ雅子様に対して、随分と思いやりのない発言に聞こえる。

そもそも雅子様と紀子様では状況が全く異なる。

外交官キャリアを捨て皇室入りするのに最後まで戸惑いを見せた雅子様に対して、紀子様は比較的望んで皇室入りなされている。付け加えて紀子様は成婚から間もなく眞子様を出産なされ不妊に悩まれたわけではない。そしてそもそも男児出産に強くプレッシャーをかけられたわけではないし、皇太子ご夫妻よりは自由度もある。

しかもこの発言は秋篠宮殿下が独断で行ったわけではなく、宮内庁、そして天皇皇后両陛下の了承も取り付けた上でのご発言だからなおさら重い。宮内庁では秋篠宮殿下を称賛する声が大多数で、雅子様が皇太子殿下を操りこのような発言をさせたのではないかと邪推するものまで現れた。

このような艱難辛苦の中、雅子様は完全な孤立無援状態で、唯一皇太子殿下だけが雅子様に寄り添う存在となっていった。

後編では人格否定発言以後の雅子様を取り巻く状況と回復、宮内庁や宮家の争いに目を向けながら、令和時代に望む皇室のあり方、雅子様を取り巻く環境について書いていきたいと思います。